少女時代のユナと中島みゆき+愛希れいか
この記事を見て思ったことがあります。
注目すべきは一番上のグラビア。
私はこの写真にとっても既視感がありました。構図とかじゃなくて、女性の表情に、です。
けっこう似てないでしょうか?このときの中島みゆきはユナよりも年上ですが、イイ線いっている!と思うんだな。
ちなみに中島みゆきの若い頃はなかなかかわいい。前髪も今の韓国女子っぽくないですか?くるくるで薄い。
中島みゆきの若い頃は、現・月組娘役トップの愛希れいかに似ているなとも思います。
ところで、リンクを貼った「Kスタイル」というサイト、韓国の芸能情報がチェックできるのですが、文章を韓国語から日本語に直訳しているためか、文章表現が日本のそれとは違っていて興味深いのです。例えば「女性の美貌」を取り上げる際の表現。
・絶頂の美貌を誇る(上記の記事。少女時代のユナに対して)
・魅惑的な魅力が際立つ(「国民の初恋」というコピーを持つmiss A スジに対して)
(魅惑的な魅力って・・・魅惑力際立つ、ではダメだったのだろうか)
・欠点のない美貌(同じく、miss A スジに対して)
・完璧なボディラインを誇示した(AOAというガールズグループのユナに対して)
・ミステリアスな魅力が際立つ(女優・キョン・スジンに対して)
・思わず見とれてしまう歴代級の美貌(女優・キム・テヒに対して)
・絶頂の美貌(女優・キム・ヒソンに対して)
・卓越した優雅さで名実ともに春の女神であることを証明(女優・ハ・ジウォンに対して)
これはあくまでも一部です。
表現のハイパーインフレが過ぎますね。
日本なら「文章を過大に書きすぎると逆にチープに感じられるので、過大表現は極力控えよ」と赤が入るはずなのですが、韓国はどうやらそうではないのかもしれない。三島由紀夫の「憂国」を韓国の作家がパクった問題がかつて起きましたが、その際も韓国の作家サイドは「我々の方が文章的に優れている」といって否定していました。(後に認めて謝罪しています。めっちゃ叩かれていました。)文化の違いなのでしょうが、彼女(韓国の作家)の文が改めて日本語に直されたのを読むと、言い回しが過剰でくどいと私は感じました。三島が熟考を重ねて削ぎ落とした文を再び付け加えている印象を受けたのです。
言い回しの足し算で文を飾ることが素晴らしいと感じる文化と、無駄を削いだものが美しいと感じる文化。どっちを否定することもなく、どちらも面白いと感じられるような、価値感に幅のある人間になりたいです。それが私の比類なき未来への切なる希望です。(←韓国風)
※以前の記事を改稿しました。