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宙組公演「神々の土地」殺害シーンの匂い立つ美しさ

宙組男役トップスター、朝夏まなとさんのサヨナラ公演「神々の土地/クラシカルビジュー」。宝塚大劇場では8月18日から9月25日まで、東京宝塚大劇場では10月13日から11月19日までの上演となります。
私は毎公演の感想を述べるタイプではないのですが、この「神々の土地」のあるシーンがものすごく好きで、まぶたの裏に焼き付いて離れないので、記録としてここに書き留めておこうと思います。ので、ネタバレします。


「神々の土地」は、ロシア帝政の末期に実在した怪僧・グレゴリー・ラスプーチンやそのラスプーチンに心酔してしまった王・ニコライ二世(どっちかといえば奥さんのアレクサンドラがどっぷり信じちゃった)、そしてラスプーチンを暗殺したドミトリー大公(イケメン)とユスポフ(イケメン)を基軸に紡がれる物語です。話としてはかなりの脚色がされております。

私が好きなのは、恐らく演出家の上田久美子先生が脚色と演出に結構な力を注いだと思われるラスプーチン(演じるのは愛月ひかるさん)の殺害シーン。実際は、次期トップの真風涼帆さん演じるユスポフが、自分ちの宮殿に「新築祝いするからおいでよ★」と呼び出してコトに及んだわけなのですが、朝夏さん演じるドミトリー大公がラスプーチンを殺害する、に変更されております。
またラスプーチンが死亡する経緯も違っています。本当ならば、ラスプーチンの好きなスイーツとお紅茶に青酸カリを盛る→なぜか死なず、大満足でペロリと完食しちゃったラスプーチンにどん引きするユスポフ。とりあえずワインを飲ませて眠らせる→親友のドミトリー大公に相談して拳銃をもらい、2発撃つ→怪僧の心臓と肺に貫通。やっと死んだかと安心したユスポフ→しかし彼は死んでいなかった!起き上がって「なんじゃこりゃ!」状態のラスプーチンに、さらにびっくりするユスポフ。→ユスポフ、「こいつゾンビやんけ!」と逃げて仲間と合流→追いかけてきたラスプーチン、ユスポフの仲間が撃った弾に当たり、雪上に倒れる。雪が血の色に染まる。しかし彼は最期の力を振り絞り、起き上がる→息も絶え絶えのラスプーチンを「うわぁ!こわい!あっちいけ!」と自分の靴で叩くユスポフ。→最終的にラスプーチンの額に弾丸をお見舞いして、ラスプーチン死亡。

となるわけですが、これが、アレクサンドラ皇后のお供をしてるラスプーチンをドミトリー大公が襲撃(2発銀橋から撃つ)→ラスプーチン死なず、2人でもみくちゃの喧嘩→最終的に剣で刺し殺す。といった具合になります。
私が好きなのは、ラスプーチンの死んだ直後。大階段に敷かれた大きな赤い絨毯に、仰向けになって無残に倒れるラスプーチンラスプーチンの身体を照明が照らしているために出現する影が、絨毯にほのかに黒く映り、まるで血だまりのように見えます。その死体を一瞥することもなく、ドミトリーはやるせなく、疲れ切った身体を少しふらつかせながらゆっくり階段を上っていきます。彼が歩き出すとほどなくしてアレクサンドラ皇后が絶叫します。「何をしているの!早く(ドミトリーを)捕らえなさい!」。しかしあまりの出来事に、脇に控えている兵隊は誰もドミトリーやラスプーチンに近づこうとはしません。舞台上の大きな「動」はドミトリーの重い足取りと、皇后の悲鳴のみ。その悲しい叫びが響くなか、幕は下ろされ暗転します。

この一瞬を観たとき、私はものすごく濃い匂いを感じました。実際の匂いはもちろんありません。甘いとか、雨の匂いだとか、血の匂いだとか。そういうのではなくて、感覚として濃い匂いが私の中に充満するのです。おどろおどろしい静かな悲しみが満ちていて、それは言葉で表現できない感情の一種かとも思えます。しかしながら後になって、やはり「美しい」と思う感情の一種であると気づくのです。
おどろおどろしい匂い立つ美しさを表現している劇や、絵画や、映画はたくさんあります。しかしまさか宝塚でそれが一瞬でも垣間みれるとはまったく思っていませんでした。汚さや、正しくない弱者が出せる味わい。五社英雄の映画に出てくるような濃さ。そのなかに隠せない、宝塚特有の清冽な気配。あのワンシーンにはそれらがぎゅっと詰まっています。