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春日野八千代が白薔薇のプリンスになるまで[改]

「伝説のタカラジェンヌは誰か」

そんな質問を投げかけられたら、ヅカファンは何と答えるだろう。
大地真央天海祐希
最近であれば柚希礼音もレジェンドと呼ばれている。
麻実れい越路吹雪も伝説のスター扱いを受けるかもしれない。 

宝塚を観ていると「10年に1度の逸材」という言葉を4、5年に1回くらい耳にする。
しかし100年に1度というフレーズは、なかなか聞かない。
私はそんなにずっぷり宝塚に浸っているわけではないけれど、春日野八千代花總まりのことを表現する際に、そのフレーズは使われているように思う。

 

春日野八千代のプロフィールを紹介すると以下の通りだ。

大正4年(1915年)11月12日生まれ、兵庫県神戸市出身。昭和3年(1928年)に宝塚音楽歌劇学校へ入学し、翌年に初舞台を踏む。昭和8年(1933年)に星組主演男役、昭和11年(1936年)に雪組主演男役、昭和13年(1938年)に花組主演男役を経験。「白薔薇のプリンス」「永遠の二枚目」とコピーがつく伝説的な二枚目男役だった。愛称はヨッちゃん。平成24年に96歳で死去。 

「ヨッちゃん」は映画が大好きな子どもだった。トーキー(音声映画)が日本で根づきはじめたのは昭和に入って少し経ってからだから、たぶん活弁士がついたサイレント映画を観ていたと思われる。チャップリンのコミカルな動きを真似していた姿が、なんとなく目に浮かぶ。

彼女が宝塚を目指そうと思ったのは13歳のとき。父親から宝塚の話を聞いたのがきっかけだった。今の音楽学校受験生ならば、宝塚受験スクールに通い、バレエなり声楽なりを学ぶんだろうが、時代が時代なので、ヨッちゃんはそんなことはしなかった。彼女の受験対策は、父親が買ってきた「世界文学全集」を貪り読んで感受性を高めることであった。そんなこんなで宝塚受験に挑んだヨッちゃん。周りは自分よりも背が高く、美人ばかり。本人も親族も落ちると思っていた。

「成績不良につき今後もよく勉学に精を出されたし」

昭和3年、ヨッちゃんはそんな注意書が添えられた宝塚への合格通知を受け取った。
入学後、授業中は寝てばかり。仲良しの同期は冨士野高嶺(元男役スター)で、一緒にかっこいい男役の先輩を見て「あんな男役になりたい」ときゃっきゃ騒いだ。しかしヨッちゃんはまだ13歳で身長が低い。「あんたみたいなチビが(笑)」と鼻で笑われ、娘役としてキャリアをスタートさせる。ちなみ当時から、お顔立ちが非常に綺麗だと周囲から認められていたようだ。だからこそ「綺麗すぎるし、線が細い」と評価され、娘役での抜擢が続いた。

そんなヨッちゃんが麗しの白薔薇となったのは昭和8年(1933年)の「巴里ニューヨーク」から。身長が伸びたので燕尾服姿がサマになっており、綺麗だし度胸もたっぷりあったので、男役がばっちりはまった。男役デビュー後1年足らずで主演男役になっている。すごい出世である。

 

今の男役の勉強方法は、先輩の所作や街中の男性、ハリウッド映画男優を映像で観て参考にしていると思うんだけど、春日野御大は歌舞伎を観たり「日本の芸談」(平山 蘆江著)を読み込んで勉強している。

ちなみにこの「日本の芸談」、近代デジタルライブラリーになっている。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142446

ちょっと読んでみたが、とても興味深い内容だ。私は芸事をやっていないけど、今の役者さんが読んでも参考になるんじゃないかな。

例えば「足のはこび」の項目はこんな内容だ。
女形は足のはこびに爪先を強くつかへば、気性の強い女形となり、男役は踵を強く踏みしむればしっかりした男の性根が見える。
 助六だの、五郎だの、梅玉だのといふいわゆる荒事の役は膝をまげずに足を大きく挙げて踵からどすんどすんと強くひきつけるようにしてあるくので踵に入れる力がゆるめられるほど、役柄がやさしくなり、足全体をしずかに下ろすという歩き方をするほどになれば、一番穏やかな人物が現されてくるわけだ。女形でも爪先を強く踏むのが勝ち気な女で、爪先にこもる力が足のうらへ平にあたるにつけてやさしい人柄が見えてくると思えばよい。』

これは歌舞伎に限ったことではないはずだ。歩き方ひとつで役の性格が表現できる、というのは、なるほど確かにそうだなと思う。

「日本の芸談」については、今後もっと読み込んで何かの機会にまとめて感想を書きたい。

 

 

参考文献

タカラジェンヌに栄光あれ」和田克巳/神戸新聞出版部/1965年

「日本の芸談」平山 蘆江/法木書店/1941年

※以前の記事を改稿した。