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越路吹雪よ、寒くはないか。1

昭和15年、夏。


池田駅を改札を出て、駅前の公園を横切り、坂道をずっと歩いていくと、蝉の鳴き声が響く住宅街の中に大きなお屋敷が見えてきます。夏の日射しが厳しさを増し、顔に汗がしたたる季節となった今、この坂道はちょっとした難所です。「ねぇ、私の顔ひどい?」。「ええ、暑くてやってられないって顔をしてます」。お屋敷の敷地に配された大きな木の陰に身を寄せて、うら若き女性が2人、顔の汗をハンカチで押さえています。そのうちの一人、敬語を使っている女の子の名は、岩谷トキ子さん。宝塚歌劇団の機関誌「歌劇」や「グラフ」の編集部員になって1年未満のひよっこ部員です。さて、この大きなお屋敷に、トキ子さんは月に1度行くことになっています。彼女にとって月に1度のこの瞬間は、いつまで経っても慣れることのない、もっとも緊張する瞬間のひとつです。
トキ子さんは大きく息を吸い込み、呼吸を整えます。

「ごめんください。『歌劇』の岩谷です。原稿を頂戴しに参りました」。

お手伝いさんの案内のもと、趣味の良い骨董品がさりげなく飾られた廊下を渡り、応接室に通されます。トキ子さんは部屋に入ると、毎回ぐるりと室内を見渡すことにしています。控えめに飾られた床の間の花や掛け軸、それから調度品が、行くたびに変わっているからです。今日の花は紅い花なすの実で、飾られた絵は円山応挙の長男・応端の「朝顔図」。「これ、この間、新聞かなにかで見かけたわ。先生が自慢してらしたの」。隣で同じようにかしこまって、この家の主を待っている先輩が囁きます。さすが雅と俗を極めていると名高い小林一三先生のお宅の応接間。トキ子さんの背筋は頭のてっぺんを引っ張られたようにいっそう伸びてしまいます。

「やぁ、暑い中よく来たね」。ほどなくして、小林先生がお見えになります。トキ子さんは先輩とともに深々とお辞儀をします。

「先生が連載している『おもひつ記』の原稿を頂きに参りました」。
「うん。あとちょっとで出来るから、ここでもう少し待っていてくれよ。それより、葡萄のラムネを飲んだことはあるかね?ちょうど手に入ったんだ。おい、この子たちに葡萄のラムネを飲ませておやり」。先生は奥様にそう伝えて自分の書斎に戻っていきます。

「葡萄のラムネですって。トキちゃんは飲んだことある?」
「ないですないです」
「先生ってやっぱり新しいものが好きなのね。」

奥様がやってきて、淡い紫色をしたラムネの瓶を2本、目の前に置いてくれました。先輩がすぐに手に取って、蓋を使い、中のビー玉をぐっと押し込むと、ガラス瓶の中で小さな泡がぷすぷすと浮かび上がり、見るだけで涼しくなってきます。

「わぁ。本当に葡萄の味がちゃんとするんですね。トキちゃんも飲んでごらん。すっきりするわよ」。

急かされたトキ子さんも、ラムネを手に取ります。

「あのひと、これを一口飲んですぐに気に入っちゃって。ものすごく沢山取り寄せてしまったの。だから遠慮せずに飲んでね」。

奥様はラムネと一緒に、お抹茶用のお菓子を出してくれます。薄い水色の上生菓子はダイヤモンドの形をしていて、その中に小さく朱色の金魚の模様があしらわれています。「わぁ、夏にぴったり。もったいなくて食べられないわ」。トキ子さんにとって小林邸に行くことは、もちろん緊張することのひとつなのですが、同時に楽しみでもありました。美しくて、美味しいお菓子が毎回登場するからです。中でも登場回数が多いのは、小林邸の近くにある和菓子店「福助堂」の大福餅。お抹茶とも麦茶ともほうじ茶とも相性抜群なこの大福は小林先生の大好物として知られています。

「あの、このお菓子とラムネ、持って帰ってもよろしいでしょうか。ラムネがとっても好きな人がいて、飲ませてあげたいんです」。
「そういうことなら、もうひとつ用意してあげるから、トキ子さんはそちらを召し上がって?お土産用の包みに入れて用意しておくから」。

 

小林先生から無事に原稿を受け取り、阪急電車に揺られたふたりは宝塚歌劇団の本拠地に戻ってきました。小林先生の原稿を編集長に渡して、トキ子さんは自分の席に着き、仕事に取りかかります。まず、先週撮影した春日野八千代さんの写真の中から、誌面に使うとっておきの1枚を選びます。毎月テーマを決めて複数のスターが同じ役柄に扮装をする人気コーナーに使う写真です。選ぶのにも時間がかかってしまいます。それが終わると、今度はスターが集まった座談会の内容を清書していく作業です。座談会も人気コーナーなのですが、テーマは毎月違います。劇団の寮生活のことであったり、作品のことであったり、お化粧のことであったり。トキ子さんの知らないこともたくさんあって、清書をするのは最初の読者になったよう。毎回楽しみにしているのです。

「ねぇ、何してんの」。

集中して仕事をしているトキ子さんの元へ、ひとりのタカラジェンヌがやってきます。編集部の部屋は歌劇団のお稽古場のひとつ下の階にあり、行き来がしやすいので、お稽古場で大きな顔の出来ない低学年の生徒は、よく編集部にくつろぎにやってくるのです。

「あらコーちゃん。今ね、座談会の記事を作ってるのよ」。
コーちゃんは、ふうん、と興味がなさそうに呟いたあと、作業を続けようとしていたトキ子さんに再び話しかけます。

「トキ子さん、この前貸してくれた太宰治の本はもう全部読んじゃったの。他の人の小説はある?」
「今すぐ貸せるのは井伏鱒二の小説ぐらいかしら。他の子に貸してたのが今日返ってきたから」。
井伏鱒二って、ちょっと前に貸してくれた『山椒魚』の人?いいわ、それを借りていくわ」。

じゃあね、と言って、本を受け取るとコーちゃんはすたすたと出ていってしまいました。ひょろっと背が高くて、無口で、いつの間にかいて、いつの間にかいなくなってる感じの子。編集部で長居をするおしゃべり好きの下級生が多いなか、コーちゃんこと越路吹雪さんはそうではありません。

「あの子とトキちゃんって同期だっけね。仲良しなの?」。隣の席の先輩が話しかけてきます。

「コーちゃんの期が入団した年の秋に私が入社したから、いってみれば同期ですね。実はあまり話したことないんです。ほら、コーちゃんって無口だし。ときどき『本貸してよ』って、私のとこに来るくらいです」。
「そうなの。でもトキちゃん?この仕事をしてるからには、特定の子と仲良くするのはよくないわよ。仕事がやりにくくなっちゃうからね」。
「はい」。

編集部員になってもうすぐ1年。トキ子さんは、引っ込み思案な自分が、まさかこんなに多くの人と関わる仕事をするとは夢にも思っていなかったようです。

  

つづく

 

大相撲九州場所、相撲以外の楽しみ方。

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幕内力士土俵入りの様子

相撲を観に九州へ行ってまいりました。相撲の内容についてや、今、相撲を取り囲む環境については人それぞれ思うことがあると思うので、私は完全に観光に特化した日記を綴っていきます。

博多駅から九州場所が開催されている福岡国際センターへはバスですぐ。バス乗り場は駅の正面の道向かいにあります。朝9時くらいに博多駅に到着して辺りをキョロキョロと見ていると、ちょうどお相撲さんがご出勤の最中。彼にこっそりついていけばいいや、と後に続きます。すこし寒そうな着物と、片手にぶら下げた小さな風呂敷が味わい深い。すっきりと結わえられたちょんまげからは、力士特有の甘い香りが漂ってきます。

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やってきたよ九州場所。向かって右側のテントで「力水」が無料配布されていました。
さて、到着しました。贔屓の部屋や力士の四股名が染め抜かれた色とりどりの幟と、呼出しさんが太鼓を叩くためのやぐらがお出迎えです。ちなみに建物の外では500mlの力水が(チケットを持っている人には)無料で配布されています。去年も貰ったので、たぶん毎年恒例のものだと思われます。迷わず受けとります。
大相撲の特徴として、チケットのもぎりを親方がやっていることが挙げられます。親方の大きな手で「はい、いってらっしゃい」とチケットをもぎってもらうと、気分も高揚するはず。さて、このチケットですが、1回だけ再入場可能です。だから、早く会場に行って、一通りお土産を買ったあと、一回出て博多の街をぶらぶら観光するのも良さそう。朝9時ごろに会場にいる人は本当に少ない。テレビ中継に映っているような、いわゆる「満員御礼」の状態になるのは、だいたい14時30分以降です。みんな好きな時間に来られるのも、大相撲の良さです。
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午前中の様子。ぜんぜん人がいない。
さて、腹ごしらえ。東京の国技館には、焼き鳥や、2階売店のソフトクリーム(エッセイスト能町みね子さん一押し。たしかにめちゃ旨い)、それから地下大広間で販売されている1杯300円のちゃんこなど、食べるべき名物がいくつかあるのですが、九州場所はそれらがありません。その代わりといってはなんですが、おすすめの食べ物がひとつあります。
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博多の寿し 黒(たしか1300円) 。すみません写真撮るの忘れたので借り物です
焼き鯖寿司なのですが、もうこれが!これが!これが!めちゃウマです。気づいたら無くなっています。会場で販売されてるビール(麒麟とアサヒがあるよ)ともよく合います。たぶん、九州場所限定の食べ物とかじゃないと思うんです。福岡では普通に見つけられる弁当のひとつっぽいのですが、絶対食べほうがよいです。シャリはふつうなんですが、焼き鯖の表面は香ばしく、身はふわっふわ。ものすごい勢いでぱくついちゃいます。おかわりしようかとも思いました。
ご飯を食べ終わり、相撲を少し楽しんだところで入口に向かいます。13時30分頃から続々と「関取」と呼ばれる番付のお相撲さんがやってくるのです。関取とは十両より上の地位にいる力士のこと。十両より下の地位(幕下、三段目、序二段、序ノ口)にいる力士は関取とは呼ばれません。関取は宝塚でいうところのスター集団なのです。スターの入り待ちをすべく、私はベストポジションを確保し、待機します。
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遠藤の入り。黄色のお着物がよく似合う。ちなみに濃いピンクもよく似合う。

大好きな安美錦(幕内最年長39歳!ひょうひょうとした笑顔が魅力!)や玉鷲ちゃん(ハート大好き、愛くるしい性格)、千代丸たん(スー女のアイドル。かわいさの塊)、高安(実は歌がめちゃうまい)の入りをしっかり見届けて十両の取組をみるために席へ戻ります。途中、スポナビインターネットテレビ)の解説をしている真剣な顔の旭天鵬(現・友綱親方)をこっそり眺めつつ、相撲を楽しみます。大相撲の会場内は、普通に有名な親方がそこらへんをうろうろしているのも大きなポイントです。「あ!琴欧州」とか「あ!武蔵丸」とか、「あ!北の富士さん!」とか、普通にあります。私はミーハー心をひた隠しにし、にやにやしながら相撲に集中します。
さて、十両の取組が終わり、いよいよ幕内力士の土俵入りです。東西の大関までが姿を現したら、いよいよ横綱の土俵入りです。横綱が四股を踏むたびに「よいしょー」という掛け声が四方から飛んできます。会場が一体となった感じがして、気分が高まります。

幕内の取組が終わっても、最後の最後の一人を忘れてはいけません。弓取式を行う聡ノ富士の勇姿は、必ず観なくてはいけません。彼は宝塚でいうところのエトワールなのです。彼は2013年からほとんどエトワールを独占しているのです。しかし、日馬富士が引退すればその勇姿をもしかしたら見ることができなくなってしまうかもしれません(伊勢ヶ濱部屋横綱がいるから伊勢ヶ濱部屋の彼が弓取式をやっているため)。私は聡ノ富士の姿が見えなくなるまで、じっと彼を見つめて、福岡国際センターを後にしました。呼出しさんの叩く太鼓の音が、大変名残惜しかったです。

そして、夜の博多へ繰り出したのです。

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博多の夜。もちろんこれを食べます。

宙組公演「神々の土地」殺害シーンの匂い立つ美しさ

宙組男役トップスター、朝夏まなとさんのサヨナラ公演「神々の土地/クラシカルビジュー」。宝塚大劇場では8月18日から9月25日まで、東京宝塚大劇場では10月13日から11月19日までの上演となります。
私は毎公演の感想を述べるタイプではないのですが、この「神々の土地」のあるシーンがものすごく好きで、まぶたの裏に焼き付いて離れないので、記録としてここに書き留めておこうと思います。ので、ネタバレします。


「神々の土地」は、ロシア帝政の末期に実在した怪僧・グレゴリー・ラスプーチンやそのラスプーチンに心酔してしまった王・ニコライ二世(どっちかといえば奥さんのアレクサンドラがどっぷり信じちゃった)、そしてラスプーチンを暗殺したドミトリー大公(イケメン)とユスポフ(イケメン)を基軸に紡がれる物語です。話としてはかなりの脚色がされております。

私が好きなのは、恐らく演出家の上田久美子先生が脚色と演出に結構な力を注いだと思われるラスプーチン(演じるのは愛月ひかるさん)の殺害シーン。実際は、次期トップの真風涼帆さん演じるユスポフが、自分ちの宮殿に「新築祝いするからおいでよ★」と呼び出してコトに及んだわけなのですが、朝夏さん演じるドミトリー大公がラスプーチンを殺害する、に変更されております。
またラスプーチンが死亡する経緯も違っています。本当ならば、ラスプーチンの好きなスイーツとお紅茶に青酸カリを盛る→なぜか死なず、大満足でペロリと完食しちゃったラスプーチンにどん引きするユスポフ。とりあえずワインを飲ませて眠らせる→親友のドミトリー大公に相談して拳銃をもらい、2発撃つ→怪僧の心臓と肺に貫通。やっと死んだかと安心したユスポフ→しかし彼は死んでいなかった!起き上がって「なんじゃこりゃ!」状態のラスプーチンに、さらにびっくりするユスポフ。→ユスポフ、「こいつゾンビやんけ!」と逃げて仲間と合流→追いかけてきたラスプーチン、ユスポフの仲間が撃った弾に当たり、雪上に倒れる。雪が血の色に染まる。しかし彼は最期の力を振り絞り、起き上がる→息も絶え絶えのラスプーチンを「うわぁ!こわい!あっちいけ!」と自分の靴で叩くユスポフ。→最終的にラスプーチンの額に弾丸をお見舞いして、ラスプーチン死亡。

となるわけですが、これが、アレクサンドラ皇后のお供をしてるラスプーチンをドミトリー大公が襲撃(2発銀橋から撃つ)→ラスプーチン死なず、2人でもみくちゃの喧嘩→最終的に剣で刺し殺す。といった具合になります。
私が好きなのは、ラスプーチンの死んだ直後。大階段に敷かれた大きな赤い絨毯に、仰向けになって無残に倒れるラスプーチンラスプーチンの身体を照明が照らしているために出現する影が、絨毯にほのかに黒く映り、まるで血だまりのように見えます。その死体を一瞥することもなく、ドミトリーはやるせなく、疲れ切った身体を少しふらつかせながらゆっくり階段を上っていきます。彼が歩き出すとほどなくしてアレクサンドラ皇后が絶叫します。「何をしているの!早く(ドミトリーを)捕らえなさい!」。しかしあまりの出来事に、脇に控えている兵隊は誰もドミトリーやラスプーチンに近づこうとはしません。舞台上の大きな「動」はドミトリーの重い足取りと、皇后の悲鳴のみ。その悲しい叫びが響くなか、幕は下ろされ暗転します。

この一瞬を観たとき、私はものすごく濃い匂いを感じました。実際の匂いはもちろんありません。甘いとか、雨の匂いだとか、血の匂いだとか。そういうのではなくて、感覚として濃い匂いが私の中に充満するのです。おどろおどろしい静かな悲しみが満ちていて、それは言葉で表現できない感情の一種かとも思えます。しかしながら後になって、やはり「美しい」と思う感情の一種であると気づくのです。
おどろおどろしい匂い立つ美しさを表現している劇や、絵画や、映画はたくさんあります。しかしまさか宝塚でそれが一瞬でも垣間みれるとはまったく思っていませんでした。汚さや、正しくない弱者が出せる味わい。五社英雄の映画に出てくるような濃さ。そのなかに隠せない、宝塚特有の清冽な気配。あのワンシーンにはそれらがぎゅっと詰まっています。

女形の品格と色気を探求せよ④うしろ姿

昭和初期に発行され、文化人の間で大評判になった「日本の藝談」。伝説のタカラジェンヌ春日野八千代御大もこの本を写して芸を勉強したそうです。

国立国会図書館デジタルコレクション - 日本の芸談


この中から今回は「うしろ姿」について触れられているところをピックアップし、女形の品格と色気について勉強していきます。

まず、著者の平山氏はこう断言しています。
「うしろ姿というものはとかくぞんざいになり易いのだが、うしろ姿によって藝の力の奥が知られる」と。
これはどういうことかというと、表を向いているときは小手先の技術でそれなりにごまかしがきくけれども、お客様に背中を見せたとたん、一切のテクニックが無意味になるということ。役者ならば役が死に、役者その人のふだんの姿がありのまま、むき出しになってしまうのです。役者が役になりきっているときに「ありのままの姿みせるのよ」ではいけません。ではどうすれば「うしろ姿」が人に見せられるレベルになるのか。
うしろ姿は、付け焼き刃の技術ではどうすることもできない。芸そのものが「底力」として身に付いていないと魅力的にはなりません。ふだんの鍛錬と舞台度胸の落ち着きと身構えの訓練を重ねているうちに、いつのまにか表現できるようになるものなんだとか。
殊に女形のうしろ姿で一番大事なのがえりあし。えりあしさえ女らしくなっていれば、もうそれだけでOKレベルです。著者は「どんなときでも、相手となる男役に、自分のえりあしをみせるような座り方、身のこなしさえすれば、その人その人の持ち合わせている色気を十二分に発揮しえられるものだ」と断言しています。また、「えりあしというものは、女の女らしさを見せる唯一の武器だと思えばよし」とさえ言っています。どんだけえりあしフェチなんだ、お前。
演技の上で気の強い女を表現する際は、決して客や相手役にえりあしを見せないんだそう。そして相手に好意を見せる演技の際には背中をフル活用し、えりあしをみせる。ポイントは正面を見据えないこと。
 今の暮らしに置き換えてみたんですけれど、「好きな相手を見つめる」っていうのはテクニックとしてモテる女の子がよくやる方法じゃないですか。上目使いする、とかそういうやつ。でも「見ない」っていうのも恥じらいがあって、上等なテクニックだなと思いましたね。見ないかわりにえりあしで隙を見せつけるわけでしょ。うなじやえりあしのお手入れを抜かり無くしておく必要がありそうですね。著者は「えりあしひとつの使い方で、喜怒哀楽、さまざまな表情が出来るのだと思えばよし」っていってるくらいです。

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ちょっと前に話題になった「女の合コンテクニック」を集めたこの歌。
テクニックとしては①ゆれるアクセ、白いレースで鎖骨のよく出た服を着る②3つの首を出す(首、手首、足首)③生足④上目づかい⑤脇をしめ、グラスは内回りで乾杯する⑥左8度で好きな相手を見つめる・・・などめっちゃ小手先のテクニックを使いまくっているのですが、これらカサネテクの積み重ねを、えりあしがたったのひとつで軽やかにぶちこわす可能性、大いにあります。しかしその可能性を持っているのは、やはり内面の底力をこつこつと積み重ねて身につけた人なのだと考えると、表面か内面かの違いで、どっちにしてもカサネテクじゃねえか!と思ったりもします。



 

女形の品格と色気を探求せよ③足運び

引き続き、「日本の藝談」から、女形の品格と色気のお勉強です。

国立国会図書館デジタルコレクション - 日本の芸談

 今回は足はこび。
 

歌舞伎の女形の足運びは、必ず足を八の字にして爪先を揃えねばなりません。歩くときは「八」を「入」の字にさせるよう、爪先を押し出しながら、前へ前へと歩みを進めるのが和装の女性の歩き方です。浴衣シーズンが到来しており、街角で浴衣の女性をちらほら見かけるようになりましたが、着慣れていない人はすぐに分かります。不格好に歩いているからです。足の裏見えてるけど・・・みたいな子が多い。ふだん着物に慣れていない人は、上記の“「八」から「入」へ”を念頭に置いて歩いてみると良さそうです。 

 また、歩き方において性格は爪先に出ます。爪先を強く踏むのが勝ち気な女性、爪先にこもる力が足の裏から平にあたるにつけて優しい人柄が見えてくるそう。これを日常の生活に置き換えて考えてみたのですが、確かにヒールの足音が強い人(カツカツカツカツ!って音がする人)は気が強そうに見えるし、足音がならない人は上品で優しそうなイメージがありますもんね。
 私は優しい人に見られたいので、ヒールは足音がならないようにリフト部分(ヒール先端のゴムのとこ)はすり減ったらすぐに交換するように心がけています。それでも鳴るときは鳴るんですけれども(笑)。
 「日本の藝談」には和装の際の足運びしか載っていないんですけれども、日々の暮らしにおいて歩き方って大変重要だと思います。パンツ姿でもスカート姿でも、歩き方が美しい人はすれ違うだけで「おっ」となる。高いヒールをはいているせいで膝下とふとももの角度が違うというか、膝を曲げて地面に足を着地する人がたくさんいますが、たいへん歩き方が汚く、体重が重くみえる。膝を伸ばして歩くことを意識するだけでもだいぶ違う気がするのですが、意識するのが難しいんですよね。「歩き方教室」っていうのがあるのもなんだか頷ける話です。また、歩き方は足の問題だけではない。身体全体を意識する必要もあります。猫背であってもいけないし、あごを突き出して歩くのもよろしくない。いろいろ気に掛ける必要があるからこそ、歩き方が美しい人は上品に見えるんでしょう。これは芸妓さんに聞いた話なのですが、「猫背になってるから背筋を伸ばして」と注意しても、綺麗に背筋を伸ばせる人って意外と少ないそうです。ふだんの姿勢として身に付いてないから不安定で不自然な立ち姿になっちゃう。そういうときは、「肩甲骨2つを近づけるイメージで引き締めて」というと、なかなかいい感じで背筋が伸びるんだそう。たしかに肩甲骨を引き締めると、背筋が伸びて、程よく胸が張れる感じがします。さすが芸妓さん、いろいろ心得てます!

珠城りょうにはトム・フォードのタイトなスーツを。

着せとけ!間違いないから、と声を大にして申し上げたい。

あのがっしりとした骨格は天性のもの。タカラジェンヌの中で、007の現ボンド、ダニエル・クレイグに最も近い着こなしができるのは彼女だと勝手に思っております。

私はお金持ちではないのですが、もしお金持ちで、かつ彼女のファンだったら間違いなくプレゼントしたいのがトム・フォードのO’CONNOR(オコナー)。  

ボンドが「スペクター」で着ているスーツのモデルです。

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ジャケットは3つボタン(段返り)。ラペルは細く、丈も短い。シャツの首元はしっかりと詰まらせる。タカラジェンヌが着たら細すぎてタイトには見えないでしょうが、珠城りょうなら、多少お直しすれば・・・かっこ良くタイトに着られるんじゃないかというのが私の願望的憶測です。男役らしく颯爽と大きく歩くのではなく、カフスボタンを慣れた手つきで直しつつ、歩幅の大きさよりも軽快さを意識し、無表情で歩いてもらいたい。例えば椅子に座ったときは、足の広げ方や組みかえ方、前のめり気味の姿勢、手の組み方などいろいろ気を配る点はあるのでしょうが、そんなのは一切無視してくれていいから、足を広げて、ただ無表情にソファに座っていればよいのです。

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別にボンドを演じてほしいとか、そういうことではないんですけれど。恵まれた体格だからこそ、それだけでかっこ良く思わせることは可能だと思うので。このタイトな着こなしで、例えばノワールもの(韓国系の「新しき世界」とか「悪いやつら」みたいな設定のやつ)やらせたら、ゼッタイ似合うはずです。それが宝塚的かどうかはさておき。だからとりあえず、たまきちにトム・フォードのO’CONNORを!どなたか!たしか1着50万円です。
 

女形の品格と色気を探求せよ②手の表情

先の記事に続き、「日本の藝談」から、女形の品格と色気をどうにかして身につけたいと願う人のための、考察をば。

国立国会図書館デジタルコレクション - 日本の芸談

 

①でも引用致しましたが、この本にはこんなことが書かれております。

“踊りと芝居はすべて手に始まって足がきまり、腰が据わってから肩がものを言い始め、やがては眼が使えるようになる。”

ということで、順番に、まずは「手」からやっていきます。

手は、仕草の代表ともいえるパーツです。ゆえに女形の手について言及している人もたくさんいるはず。自分を指差すときに手の甲を自身の身体側、掌を相手側に向けて、人差し指を反らせながら指差す、みたいなのが典型パターンのひとつ。ただ、これを現代に応用するのはなかなか浮世離れしすぎているので、会話のなかで、「私ですか?」というシーンに遭遇したときは、片手を開いて、真ん中の3本を揃えて、自分の胸元に掌をゆっくりひっつけるとかのが良いと思います。脇は必ず締めること。

「日本の藝談」にも、手の指はその働かせ具合によっていろいろな表情をもたせられると書かれています。歌舞伎の世界では指先の働かせ方によって表現する役柄も変わってくるみたい。例えば、「のばした指の小指だけを一寸かがめる」と若衆に、「指の間を一杯にはなして広げる」と奴になるのとのこと。気になる女形の指づかいについては「指を十分に反らせること」と書かれていました。
 もちろん女形にもいろいろあります。「日本の藝談」にはこんな具体例がありました。

ケース:後れ毛をかきあげる。

・(掌を相手に向け)人差し指1本を伸ばしたままでかきあげると、手に油(ワックス)がつくのを嫌がっている風情が出る。
・手の甲を外へ向け、くすり指と小指を使ってかきあげれば、恥ずかしがりの風情が見える。
・3本の指を折り曲げて親指と人差し指だけでかきあげれば、年増女の風情になる。

これを読んで、何も考えずにがさっとすくうように後れ毛をかきあげていた私、猛省しております。一番上の「手に油がつくのを嫌がっている」ってどんな性格なのかしら?こなれ感が出ている感じ?こなれ感ゆえの色気を出したいときに使うんでしょうかね。

ケース2:袖いぢり

袖をいぢることで、何気なく色気を感じさせることも可能です。しかしながら、これをわざわざやると、返って「何気なさ」(手持ち無沙汰感)が大げさになってしまう。あくまでも「偶然の身のこなし」と思わせる必要があります。何かものを引き寄せたり、手を差し伸ばすときに、必ず片手で片手の袖をかかえるようにするか、くちびるでくわえるようにする。しかし、触るものが何もないのに片手でいちいち袖を抱えてしまうと、はしたなく、ぞんざいでしまりのない女に見えてしまう。
今の暮らしにおいて、和装のように袖が長くついているものなんてほとんどないし、まして口で袖をくわえる機会もほとんどないと思います。しかし「よかれと思って仕草を執拗なまでにくり返す」と返って下品に見える、というのはなるほど納得なだと思いました。それにしてもはしたなく、ぞんざいでしまりがない女って・・・けちょんけちょんですよね(笑)。要は女を出しすぎると不快感しかないぞってこと? 

それからこの本には「ふところ手」についても詳しく記載されているんです。ふところ手っていうのは、和装したとき、手を袖から出さずに懐に入れておくことなんですが、これは今の日常生活においてまったく使えそうもないので割愛します。