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手塚治虫が考えた100年後の宝塚

「ぼくの かんがえた さいきょうの ○○」

というネットフレーズが流行したのはいつのことだったでしょう。
何の生産性もない、しょーもない機能を持つマシンや魔法呪文を妄想・発想することをヤジる(時に自虐する)ためのフレーズです。
しかし、この非現実な妄想で多くの人にロマンや、夢や、楽しみを与えた人もいます。
漫画家・手塚治虫です。
彼にとっての
「ぼくの かんがえた さいきょうの みらいロボット」が鉄腕アトムであり

「ぼくの かんがえた さいきょうの おいしゃさん」がブラック・ジャックなのはもう、言うまでもないでしょう。
さて、その手塚治虫は、初恋の人がタカラジェンヌで、家が伝説のタカラジェンヌ天津乙女の隣だったこともあるという生粋のヅカファンです。「リボンの騎士」なんてのは、もう主題が宝塚になってしまっているほど。だからやっぱり存在していました。「ぼくの かんがえた さいきょうの たからづか」が。

彼は昭和22年6月20日発行「宝塚グラフ復刊第3号」に、「T党3人娘 百年後の宝塚見物」という1見開きのイラストを寄稿しています。未来の宝塚歌劇を楽しんでいる女子3人組が登場し、そこにちょっとしたコメントを添えています。昭和22年(1947年)から100年後だから2047年ですね。手塚治虫が想像した2047年の宝塚を覗いてみたいと思います。今その世界が達成されているものや、手塚治虫の想像以上に発展しているもの、おそらく実現不可能なものがあって興味深いですよ。

1 .桜のトンネル 大温室ですから1年中咲きます。

イラストでは、3人組の女の子が桜並木の下をくぐって入場しています。どうやら桜は昭和22年に植樹された模様。大劇場へ向かう「花の道」が温室になっている設定で、桜は年中咲くとのこと。管理が大変そうですね。

2.切符の横流しはゼッタイにありません。
今はチケットを購入する際にネットや電話を駆使しますが、昔は並んでチケットを取っていたので、チケット売り場のお姉さんによる「良い席のチケット横流し」が問題になっていたのでしょう。手塚治虫はチケット売り場のお姉さんをロボットにすることで、どの人にも公平に席が分配される仕組みを導入しています。この場合、「関係者席」は横流しの対象になるんでしょうかね?

3.すべりこみで、お化粧のヒマもないときは、このアナへアタマをお入れください。

「自動化粧器」と書かれた看板が設置され、その近くの壁には顔よりも一回り大きい穴が開いています。そして、穴に向かって顔を突っ込んでいる女性の姿が。この穴へ顔を突っ込むと素早く自動で化粧をしてくれるようです。確かに観劇するときは、洋服やら化粧に気合いを入れたいですもんね。出掛ける前って妙に時間がないから、お化粧がその穴で済ませられるのはありがたい。でもその機械頼みの化粧が全然気に入らなかったらどうするんでしょう。「私、チークは入れない主義なのに!」みたいな人や「アイシャドーの色が古くさすぎるんですけど!」みたいな人は利用を控えて早起きしましょう。


4.場内へはこのすべり台で。
ロビーから客席への入口はなく、番号が振られた穴が開いています。この穴から滑って客席へと向かうスタイルが導入されていました。

5.ドアを開けるために場内へ光が入るという心配はない

なぜ4(すべり台スタイル)が導入されたかという理由が判明しました。たしかに上演中にドアを開け閉めされると気が散るというか、舞台に集中できないですもんね。ところで、入場はすべり台ですけど、2階席の人、入口へ辿り着くためにめっちゃ階段登らないといけませんね。だって座席よりも高い位置にすべり台がないと滑れないですし。そして退場に光は関係ないから、普通にドアから出るんでしょうか。なんか微妙な案ですね。


6.自動オーケストラで開幕

これは録音でやるんじゃなくて、楽器に演奏を記録させとくスタイル。大劇場のロビーにあるグランドピアノと一緒。私、これはヤだな。多少トチってもいいから、オケはちゃんとオケであってほしい。


7.2人も3人も座ることを防ぐ仕掛け(下が自動バネ)

私は見たことないんですけど、昔は席の重複が問題になったんですかね。チケット代ケチって1つの席を友達同士でシェアして座っているイラストつきです。でも、下がバネになってるから、2人座っている席は重くて上へ上がらないの。他の席は1人ずつ座っているので、ある程度の軽さがあって上へ浮いています。つまり、2人以上座ると席が沈んで劇が見えないわけです。ナイスアイデア!って言いたいところだけど、今この問題は特に起きてないと思うので実現しないでしょう。つうか、席がバネだとゆらゆらして集中できんわ!そっちのが問題だわ!


8.背景はぜんぶ天然色立体映画
つまり、3D映像やプロジェクションマッピングが導入されている、ということ。これ、ある程度正解じゃないですか。ちなみに私は、背景に映像導入するの好きじゃないんですよね。今の技術で導入しても映像が浮いていて気持ちが冷めるだけだし、大道具美術や背景美術を眺めるのが好きなので。イラストのレビューのタイトルは「グランドショー 宇宙への幻想」でした。壮大だからこれは観たいぞ、藤井先生に頼むしかないな。

9.切符を買えなかった人々へサーヴィス
広場に大きなテレビジョンが設けられ、そこへたくさんの人が集まっています。今上演している作品が、テレビの前で、リアルタイムで視聴できるというわけ。これは実現しているとみなしていいでしょう。映画館でライブ・ビューイングしていますもん。

10.豪華なセット、木などは本物を使います。
セットについては私はよく分からないので割愛させていただく。
 
11.メークアップの発達。ウルサイ楽屋口はしたまま抜ける
出待ちをしているファンが「アレハ○○さんカシラ 道具方カシラ」とつぶやいているイラストつき。ファンが気づかないレベルの化粧技術ってこと?入りや出についてはもはや宝塚の名物とさえいえるレベル。あれを観たい一見さんもいらっしゃるのだから、これは却下で!


12.立体発声スチールブロマイド
スターの立体写真から歌声が流れる。
・・・正直、これ、いる?

13.古代歌劇展(思い出のスタアの写真などを展示している)
これは、まさしくその通りのものがありますね。「宝塚歌劇の殿堂」というミュージアムみたいなものが、劇場に併設されています。

14.大社交室 ここでは本日の公演のダンス教授と歌唱指導
公演の歌と踊りを本格的に学べるってことだと思います。「ファンにタカラジェンヌの気分を味わってもらう」というのが狙いと考えるならば、趣旨としては衣装が着られて、ヅカメイクをしてもらえるステージスタジオに近いかも。

15.かくて感激の一日は終りぬ。
感激は観劇とかかっているのね。ダブルミーニングってやつですね。ちなみにイラストに登場する宝塚が好きな女の子3人組は、東京から宝塚への直通便(飛行機!)に乗ってやってきて、日帰りの設定です。そこは1泊すりゃいいのに。せっかくなんだからさ。

これが手塚治虫が考える未来の宝塚の姿です。項目によっては現時点で達成されていると思えるものもあるし、こりゃ今や需要がないだろと感じるものもありますね。私がいいなと思ったのは、花の道が大温室になってるってとこだけでした。それ以外は別に惹かれなかったです。項目4と5の意味が重複していることと、項目15は特に意味がないことを考慮して全部で13項目で、達成されているのは、3項目。ってことで70年経った現在の達成率はだいたい20パーセントです。

おじじ萌え、ずっきゅん。ロバート・デ・ニーロ

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ロバート・デ・ニーロといえば、「タクシードライバー」や「ゴッドファーザー PARTⅡ」なんかの、殺気立った役が超絶お似合いだから、「マイインターン」でみせた「最初っから最後までめっちゃ善良な老紳士」の役には違和感!みたいな記事をどこかで読みました。
私はその記事に「SAY NO!」を突き立てたい。
だって、「レナードの朝」のデ・ニーロ、めっちゃ最高だったじゃん。パーキンソン病の患者役を熱演し、好きな女性とダンスを踊るシーンでは、多くの人を感動させたじゃん!
つまりデ・ニーロは凶悪な役以外でも、なんでもできちゃうんである。なんだって最高なのである。

さて、映画「マイ・インターン」は、通販サイトの運営で成功を収めたアン・ハサウェイの部下となったロバート・デ・ニーロを愛でる映画です。要素はそこしかありません。究極のおじじ萌え映画です。

現在テレビ東京で放送中の「バイプレイヤーズ」が、おじじ萌えドラマとして話題を集めていますよね。6人の激渋脇役がテラスハウスみたいに共同生活するドラマ。正直言って脚本はクソですが、この設定に完敗した私は毎回観るのを楽しみにしています。
ロケ地となった館山のゲストハウスを調べちゃうくらいのハマりっぷり。

www.agriplan.jp

推しはお料理上手の松重さんです。一緒にジャム作り、ロールケーキ作り、タケノコ掘りしたい!

しかし、この松重さんよりも私のおじじ萌え心をくすぐるのが、マイ・インターンロバート・デ・ニーロが演じるベン・ウィテカーさんです。

アン・ハサウェイ(役名忘れた)の会社のシニア・インターンとして働くことになったベン。出社前は胸がどきどき。鏡の前でメイソンピアソンの櫛https://www.masonpearson.jpを持ち、ロマンスグレーの髪を念入りにセッティングするのです。乙女のように。はい、ここでとりあえず萌えポイント10万点です。

次の萌えポイントは出社後、自分の席についてから。通勤鞄(1973年・エクゼクティブモデルの革のアタッシュケース/廃盤)から、愛用の仕事道具を取り出すんですけど、この小物のセンスがまた良いのです。
会社から支給されているMacBookのすぐ右隣にはBRAUNの目覚まし時計を配置。これの黒色です。http://www.br-time.jp/contents/products/bnc00/

そんで、時計の近くにはスケジュール帳と恐らくメモ帳。どちらも革のカバーつきね。茶色とワイン色の間みたいな、渋くて良い色です。
パソコンの左側には眼鏡ケース、ペンケース、カシオの電卓を一列に揃えてスタンバイ完了です。サムスンガラケーと万年筆2本(ブランド分からず)もここに置いてます。

いよいよ仕事に取りかかります。まずはメールチェックから。しかしガラケー使いのベンは、Macbookの起動の仕方が全然分からない。右隣の席の同僚(若者)が「ここ押すんだよ」と教えてくれます。これを真似っ子してパソコンを起動させるベン。とっても嬉しそう。あああああ、かわいいですねぇ。2000万点ですね。
しかしそんな健気なベンに対して上司のアン・ハサウェイはちょっとよそよそしいんです。そこでベンは、その日の夜寝る前に、アン・ハサウェイの気分を害さないような挨拶を繰り返し練習します。「Hi・・・違うかな・・」みたいな。このシーン、パジャマなこともあり、私の中では100万点です。
さて、いろいろあって仲良くなったベンとアン・ハサウェイ。残業中、気分転換がてらベンのFacebook登録をアンが手伝ってあげることに。まずはプロフィール写真を撮ります。「ハイ!」とアンがカメラを向けた瞬間のロバート・デニーロの、不自然で引きつった笑顔のかわいさといったら!もうもうもうもう!目尻に出来た皺さえかわいい。鼻血がとまりません。無論、1億点ですね。(この記事の画像がそのシーンです)。

物語の中盤にして、私のおじじ萌えポイント1億2110万点をたたき出す威力。ロバート・デ・ニーロの底力を感じます。

 しかし、ベンはただのかわいいだけの男ではありません。かっこいいこともちゃんと言います。

 

・ハンカチっている?必要なくない?と言われた時の一言

「ハンカチは必需品だ、知らないのは罪だぞ。ハンカチは貸すためにある。女性が泣いたときのため。紳士のたしなみだ」

 

は〜い、完敗完敗。ベンに完敗です。 

クソかわいい悪役 クリストフ・ヴァルツ

 

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小さい頃は正義の味方が大好きだったけれど、あるとき悪役に魅力を感じるようになった。それに気づくと同時に、私の青春はとっくに過ぎていたと悟った。

私は正直者ではないし、嘘もつく。正しいことばかりしてきた人間じゃない。人を裏切ったことがあり、そのときの後ろめたさを今でもしばしば思い出す。10代後半までは、正義の味方のような生き方をすると思っていた。しかし、20代に入って自分の脆さが明らかになると、私は100パーセント善人ではないことを思い知る。悪役や脇役にぐっと心が惹かれるのは、私が大人になったと自分で気づいてしまったからだろう、おそらく。人に対してやましい思いを抱えたまま、正直者に憧れる自分のみじめったらしさに打ちひしがれているとき、映画に出てくるぶっ飛んだ数々の悪役は、私に希望をくれた。


中でもお気に入りなのは、クリストフ・ヴァルツが演じる悪役だ。愛され度ナンバーワン・悪役界をしょって立つ、スーパーアイドル。彼の演じる悪役はそんなキャラばかり。007シリーズ「スペクター」ではフランツ・オーベルハウザー(ブロフェルド)という、ジェームズ・ボンドと血のつながらない兄弟かつ悪の親玉を、実話を元にしたティム・バートンの作品「ビッグ・アイズ」では妻の絵を自分が描いたと主張し、執拗に妻をおいかけるキ○ガイ、ウォルター・キーンを熱演。

私が一番好きなのは、タランティーノ作品「イングロリアス・バスターズ」で演じたナチスの親衛隊将校・ハンス・ランダというド級のクズ。
悪どくて、容赦なくて、自分中心で、本心が読めない。そしていっつもニコニコしているんだけど、突拍子もなく真顔になって相手をドキっとさせる。絶対に賢いのにバカっぽいのもいい。「道化」ってやつである。

 

www.youtube.com

 

このシーンが最高。

「うぅ〜♪ざっつ あ びんご〜!」とウキウキ言ったあと、身体をふりふりし、眉を少し上げてみせたと思ったら、いきなり眉を寄せて
「ところで(英語で)that's a bingoって表現で合ってる?」ってブラピに尋ねる。
「ビンゴだけでいいよ」とブラピ(敵役)に教えられると、超嬉しそうに
「っびんごぅ〜!超たのし〜!」って言うのだ。

かわいい、超かわいい。悪役で憎むべき存在なのに、こんなにも愛おしい。
世の中には少数ながらクズでしょうもないのに許される奴というのが存在する。他人に迷惑をかけまくってるのに、なぜか愛されるのだ。もちろん彼らも痛い目には合っている。私は、こういう人には憧れないし、今でもなれるものであれば、正直に、全うに生きていきたいと思うけれど、それでも、クリストフ・ヴァルツが演じるような愛されるクズ(もちろん犯罪はダメだけど)に、ちょっとだけでもいいから寛容さを持って生きていきたい。それが正義の味方でなくなった、今の私の目標だ。

春日野八千代が白薔薇のプリンスになるまで[改]

「伝説のタカラジェンヌは誰か」

そんな質問を投げかけられたら、ヅカファンは何と答えるだろう。
大地真央天海祐希
最近であれば柚希礼音もレジェンドと呼ばれている。
麻実れい越路吹雪も伝説のスター扱いを受けるかもしれない。 

宝塚を観ていると「10年に1度の逸材」という言葉を4、5年に1回くらい耳にする。
しかし100年に1度というフレーズは、なかなか聞かない。
私はそんなにずっぷり宝塚に浸っているわけではないけれど、春日野八千代花總まりのことを表現する際に、そのフレーズは使われているように思う。

 

春日野八千代のプロフィールを紹介すると以下の通りだ。

大正4年(1915年)11月12日生まれ、兵庫県神戸市出身。昭和3年(1928年)に宝塚音楽歌劇学校へ入学し、翌年に初舞台を踏む。昭和8年(1933年)に星組主演男役、昭和11年(1936年)に雪組主演男役、昭和13年(1938年)に花組主演男役を経験。「白薔薇のプリンス」「永遠の二枚目」とコピーがつく伝説的な二枚目男役だった。愛称はヨッちゃん。平成24年に96歳で死去。 

「ヨッちゃん」は映画が大好きな子どもだった。トーキー(音声映画)が日本で根づきはじめたのは昭和に入って少し経ってからだから、たぶん活弁士がついたサイレント映画を観ていたと思われる。チャップリンのコミカルな動きを真似していた姿が、なんとなく目に浮かぶ。

彼女が宝塚を目指そうと思ったのは13歳のとき。父親から宝塚の話を聞いたのがきっかけだった。今の音楽学校受験生ならば、宝塚受験スクールに通い、バレエなり声楽なりを学ぶんだろうが、時代が時代なので、ヨッちゃんはそんなことはしなかった。彼女の受験対策は、父親が買ってきた「世界文学全集」を貪り読んで感受性を高めることであった。そんなこんなで宝塚受験に挑んだヨッちゃん。周りは自分よりも背が高く、美人ばかり。本人も親族も落ちると思っていた。

「成績不良につき今後もよく勉学に精を出されたし」

昭和3年、ヨッちゃんはそんな注意書が添えられた宝塚への合格通知を受け取った。
入学後、授業中は寝てばかり。仲良しの同期は冨士野高嶺(元男役スター)で、一緒にかっこいい男役の先輩を見て「あんな男役になりたい」ときゃっきゃ騒いだ。しかしヨッちゃんはまだ13歳で身長が低い。「あんたみたいなチビが(笑)」と鼻で笑われ、娘役としてキャリアをスタートさせる。ちなみ当時から、お顔立ちが非常に綺麗だと周囲から認められていたようだ。だからこそ「綺麗すぎるし、線が細い」と評価され、娘役での抜擢が続いた。

そんなヨッちゃんが麗しの白薔薇となったのは昭和8年(1933年)の「巴里ニューヨーク」から。身長が伸びたので燕尾服姿がサマになっており、綺麗だし度胸もたっぷりあったので、男役がばっちりはまった。男役デビュー後1年足らずで主演男役になっている。すごい出世である。

 

今の男役の勉強方法は、先輩の所作や街中の男性、ハリウッド映画男優を映像で観て参考にしていると思うんだけど、春日野御大は歌舞伎を観たり「日本の芸談」(平山 蘆江著)を読み込んで勉強している。

ちなみにこの「日本の芸談」、近代デジタルライブラリーになっている。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142446

ちょっと読んでみたが、とても興味深い内容だ。私は芸事をやっていないけど、今の役者さんが読んでも参考になるんじゃないかな。

例えば「足のはこび」の項目はこんな内容だ。
女形は足のはこびに爪先を強くつかへば、気性の強い女形となり、男役は踵を強く踏みしむればしっかりした男の性根が見える。
 助六だの、五郎だの、梅玉だのといふいわゆる荒事の役は膝をまげずに足を大きく挙げて踵からどすんどすんと強くひきつけるようにしてあるくので踵に入れる力がゆるめられるほど、役柄がやさしくなり、足全体をしずかに下ろすという歩き方をするほどになれば、一番穏やかな人物が現されてくるわけだ。女形でも爪先を強く踏むのが勝ち気な女で、爪先にこもる力が足のうらへ平にあたるにつけてやさしい人柄が見えてくると思えばよい。』

これは歌舞伎に限ったことではないはずだ。歩き方ひとつで役の性格が表現できる、というのは、なるほど確かにそうだなと思う。

「日本の芸談」については、今後もっと読み込んで何かの機会にまとめて感想を書きたい。

 

 

参考文献

タカラジェンヌに栄光あれ」和田克巳/神戸新聞出版部/1965年

「日本の芸談」平山 蘆江/法木書店/1941年

※以前の記事を改稿した。

 

朝海ひかるの絶望と憂鬱

憂鬱を背負った瞳に、光が入る。

「神よ、私は自分が罪深い人間であることは知っていますーーー」

男はふらふらと歩き、背をまるめて両手をじっと見つめる。そして気づく。

「神よ、これがあなたの答えなのか」。

端正な顔が苦しげにもがく。かすかに眉が歪む、その姿すら美しい。眉はすぐに元の位置に戻るが、瞳は相変わらず見開かれており、光を永遠に吸い込んでしまいそうな、ぼんやりとした輝きを湛えている。

ほどなくして、眼に込められた力が一気に抜ける。そうすると彼の瞳から光が消え、再び憂鬱がまといつく。

2001年宝塚雪組公演(バウホール)「アンナ・カレーニナ」で主役のヴィロンスキーを演じた朝海ひかるの見せ場だ。不倫に走り、夫を裏切ったことによる後悔で衰弱していくアンナを前に、情人のヴィロンスキーは何もできない。自分と恋に落ちなければアンナは苦しまずに済んだと悟ったヴィロンスキーが自殺を決意するシーンだ。

 

マイ・ベスト・タカラジェンヌ朝海ひかる(愛称コムちゃん)だ。

新人公演の主演を演じたことがなく、男役2番手をほとんど経験せずにトップスターになった。
1991年に初舞台を踏んだ77期生。ダンサージェンヌとして知られ、同期には花總まり春野寿美礼安蘭けいがいる。本人が「自分は真ん中に立つタイプの人間ではない」と思っていたとあちこちで語っているように、最初からスターとして育てられたわけではない。ターニングポイントとなったのは、1998年・宙組公演「エリザベート」で皇太子・ルドルフを演じたことだ。その公演期間中に雪組へ組み替えし、同期スターの安蘭けい、成瀬こうきとともにトリオ売りで人気をぐんぐんと伸ばしていった。

彼女の男役が私に与えた衝撃は大きかった。ルドルフに代表される、今にも壊れてしまいそうな絶望や憂鬱を背負う姿が本当によく似合った。彼女が演じる男役は、例えばどんなに幸せであってもそれは永遠ではないと観客に連想させる。どんな役を演じてもいつも孤独で、悩ましげで、破滅的で、耽美という言葉がぴったりだ。そしてその魅力は周りをも巻き込んだ。コムちゃんは相手が男役であれ娘役であれ、劇中で近しい存在の役をもれなく負の世界へ引きずり込む蠱惑の力があった。どんなに明るい役であっても、ひたむきな役であっても、朝海ひかると対峙すると陰が感じられるのだ。彼女の存在が与える負の世界観が私はたまらなく好きだった。

あの雰囲気はどこから出てくるのだろう。ふだんのころころと笑う表情を見る限り、もともとの性格がもたらしているものではなさそうだ。取材記事やインタビュー動画を見る限りあっけらかんとしていて、耽美とはほど遠い。ダンサーとして名を馳せた彼女だから、身のこなしに秘密があるのかもしれない。ダンスを踊る姿は驚くほどしなやかだし、足取りも軽い。また、歩き方が少し独特だ。あまりにも滑らかすぎて、重力が感じられない。男役にしては華奢な身体つきも、今に消えてしまいそうな彼女の儚げな姿に一役買っている。にもかかわらず、芯はしっかりとしている。癖のある低い声や涼しげな目元から出されるビームのような目力は男役の強さを引き出す。とにかく彼女はアンバランスなのだ、絶妙に美しいアンバランスさを持っていて、破滅と希望の境界線上を、あの重力を感じさせない身のこなしで歩いてみせる。だから私は目が離せない。視線をそらすとどこかに行ってしまいそうだったから。

2006年の退団公演「タランテラ」のあるシーンで、彼女は銀橋から舞台をまぶしく眺めた。きらきらと輝く舞台上には、大勢の下級生が晴れやかな笑みを浮かべていた。しばらくその舞台を見つめたコムちゃんは、満足げに頷いて銀橋からはける。それを見た瞬間、私はコムちゃんの男役がついに消えてしまうんだと気がついた。私は悲しくもあり、嬉しくもあった。とっても幸せそうな彼女からは、絶望と憂鬱が消えていた。

 

 

東宝エリザベートにおけるヘレネ嬢の健気さについて

東宝ミュージカル・エリザベートの名古屋公演が始まった。
チケットを手に入れることができなかった私は、12月にDVDが発売されるのをハンカチを噛み締めつつ待つしかない。
時を遡るけれど、梅田芸術劇場での公演は2度観ることができた。
そこで気がついたのが、エリザベートの姉・ヘレネ嬢の健気さであった。
私はシシィやトートに夢中になりすぎて今まで気づかなかったけれども、結婚は失敗だとシシィパパとゾフィが歌うシーンで、エリザベートとフランツがお似合いであるか否かを2つのグループに分かれて歌い合うとき、ヘレネはママと一緒に「エリザベートとフランツは似合う」党に属している。
私ならそんなこと言えない。3年前から「あんたは王子と結婚するのよ」と母親に言われて、花嫁修業を完璧と断言する状態まで仕上げ、あるとは言えない洋服のセンスを最大限駆使して(ピンクフリフリの勝負服)挑んだ、いわば人生をかけたお見合いで、何の努力もしていないお転婆なシシィに「運命の人」と信じて疑わなかった王子様を持って行かれたのだ。しかも目の前で。

正直たまったもんじゃないだろう。悔しさや、みじめさや、無力さや、いろいろな感情が湧いたはずなのだ。いくら大人しくて、おしとやかだったとしても。
だからこそ、彼女が唯一こぼす本音「3年間の花嫁修業、すべてパァ」を聞くと、ぐっとくるものがある。

感情を押し殺したヘレネは、妹の晴れ舞台に笑顔で「シシィはフランツに似合う」と断言する。なんて健気な!なんていい人なんだ!

と妙な感情移入をしてしまって以来、私はヘレネ嬢には心から幸せになってもらいたいと願っています。



花總まりは帝劇の女王なのですから

中学2年の冬のことだ。
テスト期間中で昼から家に戻れることになり、ご飯を食べようとカップ焼きそばにお湯を入れて待っていたとき、何気なくテレビをザッピングしたらNHKのBS2(現在はプレミアム)にきらびやかな画面が映った。しかし、お昼のワイドニュース「ザ・ワイド」が大好きだった当時の私はその画面を気に留めることもなくチャンネルを変えようとした。そんなときだった。画面の中央で深紅のドレスを着たフランス人形のような顔立ちの女性が、こちらに向かって「静かになさい」と語りかけた。

 私は手をとめた。女性は、赤い絨毯が敷かれた階段をゆっくり1歩ずつ下り、子どもたちに「パリに行くわよ」と言い聞かせたあとで再び正面を向き、決意を固めたように宣言した。

マリー・アントワネットは、フランスの女王なのですから」。

思わず見とれてしまった。そのシーンが終わり、場面は次に移っていたにも関わらず、私の目には赤いドレスのマリー・アントワネットが鮮明に刻まれたままだ。心を3分前に置きっぱなしにしたまま、時だけが過ぎている感覚を味わった。 
それが、私と宝塚との最初の出会いだ。

2001年の宙組公演「ベルサイユのばら2001・フェルゼンとマリー・アントワネット編」で宝塚を知った私は、続けてテレビで観る機会があった2000年月組公演の「LUNA」を観て真琴つばさに陥落する。どこまでもキザったらしく、ちょっと無愛想で、けどセクシーな流し目を連発する真琴つばさに会いたいと、宝塚の情報を集めまくり(既に彼女は退団していた)、宝塚おとめを入手してぼろぼろになるまで読み込み、1カ月後には見事なヅカファンの仲間入りを果たした。

 宝塚を知れば知るほど、2001年にマリー・アントワネットを演じた花總まりが宝塚内でどのような存在であるかを理解し始める。
 1991年に77期として入団し、星組に所属。研1で「ミーミルちゃん」という超絶かわいい妖精さんの役をゲットし、「あのスタイルの良い子はいったい!?」と注目を集める。雪組へ組み替え後1994年の「風と共に去りぬ」の新人公演では、娘役であるにも関わらずなぜか男役トップスター・一路真輝の演じたスカーレット・オハラに抜擢。同年、娘役トップスターに就任した。
 就任してからは雪組宙組で5人の男役トップスターの相手役を演じる。2006年に退団するまで、娘役トップとして在籍した12年間は他の追随を許さない就任期間だ。その長さゆえ他のファンからは皮肉を込めて「女帝」と呼ばれていたこともあった。マリー・アントワネットエリザベートトゥーランドット額田王、メルトゥイユ、クリスティーヌ、カルメン。演じた役をざっと挙げてみても、どれも当たり役と呼べるものばかり。「女帝」の名に込められた意味は、皮肉に加えていつしか肯定的な要素が含まれていく。

 2006年の退団後、彼女は表舞台から姿を消した。宝塚で15年やったからもう十分だという思いがあったという。辞めてからは元相手役のマネージャ—を務めた。この頃、どんな風に過ごしていたかはあまり語られていない。

 2010年頃から少しずつ舞台へ出演するようになったが、本格的に舞台復帰するきっかけになったのは、2012年エリザベートのガラコンサートに出たことが大きい。ファンから「ここがあなたの生きる場所だ」と言われ、自分ができることは何かと考えて自らの意志で舞台へ帰ってきた。

 彼女の復帰はなんとなく知っていた。しかし2014年、「花總まり東宝エリザベートを演る」という情報が私に届いたとき「いよいよこの時が来たか」とファンでも何でもないのに強く思った。これは観なければ絶対後悔する。一生後悔する。

 花總まりの当たり役は多いがエリザベートは別格だ。初演のエリザベートを成功に導き、宝塚在籍中に同じ役を再び演じた。物語1幕終わりの「鏡の間」では、真っ白で豪華なドレスを身に纏って、これ以上ないほど美しいドヤ顔で階段をゆっくり下りてきた。このときの彼女は、思わずこちらがひれ伏したくなるほどの輝きを放っていた。
 ビデオでさんざん観てきたこのシーンが、生で観られるなんて!!あらゆる方法でチケット争奪戦を勝ち抜いた私は、胸を高まらせながら帝劇へ遠征した。正直、贔屓であった朝海ひかるエリザベートを演じたときよりも緊張した。(あの時はコムちゃんお歌大丈夫かなぁ・・・という妙な緊張感でいっぱいだった) 

 前評判の高さはもちろん知っている。宝塚時代はさして巧いと思ったことがない歌唱技術も、血の滲む努力により地声でなんとかなるレベルまできていると小耳に挟んだ。けど初演から20年が経っている。確か宙組で再演したときに少女期がわざとらしいと小池先生に注意されたんじゃなかったっけ。共演者も一回り年が下の人が多いじゃないか。
 そんなことを思っているうちに幕が上がる。「死」であるトート閣下が舞台の上から黒い羽を背負って下りてくるというぶっとんだ演出に「やっぱりイケコ(小池先生)だ」と安心していると少女のシシィが登場する。ちょっとドタドタした歩き方、おしゃまでお転婆な姿。あぁ、ちゃんと少女だと息をつく。オペラグラスを覗き込む。首もとのシワがあざとく目につく。一瞬20年の月日を感じてしまう。

歌声は想像よりはるかに良い。笑った顔も愛らしい。トートダンサーに囲まれたときの不安げな表情は少女特有の頼りなさを湛えている。

 彼女の演技をひとつずつ確認するように味わっていくと、「私だけに」のシーンへ突入する。歌詞を噛み締めるように歌う、感情を乗せる歌い方はビデオで何度も観た宝塚時代を彷彿とさせる。大きく違うのはやっぱり歌唱力だと思う。こんなに歌える人ではなかったはずだ。1曲の前半部では悲しみの感情、後半部では自分のアイデンティティの確立を明確に歌い分けている。少なくとも2006年までは、1曲の中で成長が生まれる歌い方ができる人ではなかった。シシィの成長と花總まり自身の成長が私の中でダブる。舞台に立っていなかった時代から、復帰して以降の注目のされ方。周囲の期待は大きかっただろう。新聞や雑誌のインタビュー記事から、歌をなんとかしたいという思いは伝わってきた。もちろん今も抜群の歌唱力とはいえない。もっと上手な人は他にもいる。けれどなぜか、こんなにも泣ける。
 物語は1幕の終わりを迎える。いよいよ「鏡の間」だ。 エリザベートが少しずつこちらを振り向く。少女時代のお転婆な姿はない。気品に満ちあふれた王妃が、意志の強そうな目で客席を見つめる。
 私はこのシーンを観るためだけに東京までやってきた。花總まりの鏡の間が観られるのかと思うと、前日は遠足前の子どものように浮かれて眠れなかった。
しかし私が渇望していた「鏡の間」はそこにはなかった。

 彼女は、私の想像や妄想がいかに至らないかを身をもって証明してみせた。立ち居振る舞い、目線の運び方、瞬きの仕方、微笑、スカートのさばき方、そして背後に湛えた彼女自身の生き方。私が求めるものよりもずっと上の「鏡の間」を花總まりはくれたのだ。客席で胸騒ぐ私は、ゆっくり振り返る彼女に「静かになさい」と言われた気がした。14歳のとき、テレビで私を釘付けにしたマリー・アントワネットがふと脳裏に浮かんだ。

純白のドレスを着こなした美しいエリザベートは、優雅な手つきで扇子を翻す。
神々しくて、品格があって当然なのだと私は思った。
だって、花總まりは帝劇の女王なのですから。

 

参考資料

2014年7月朝日新聞夕刊
2015年6月「徹子の部屋
2016年7月中日スポーツ