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とりどり.com

宝塚や本、映画、旅行のことなど。

パタリロ、無念の舞台化へ

宝塚

宝塚OGの樹里咲穂はある日、自分が持っているテレビ番組で現・宙組トップスター朝夏まなとにこう切り出した。

「(あんたには)バンコランやってほしい」。

バンコランとは、少女ギャグ漫画界の雄「パタリロ」に出てくる超絶美形スパイだ。

樹里の台詞は、いっときの私の心を掴んで離さなかった。
むべなるかな!と何度首を縦に振ったことだろう。

樹里はその後、演出家さながらにバンコランの最愛の人であるマライヒ役や主役となるパタリロ役、そしてタマネギ部隊の群舞など次々と構想を練っていく。対する朝夏は、バンコランがどんな役なのかまったく理解していないようで、ニコニコとその話を聞いている。

 時を経て、宙組エリザベートのポスターが解禁になったとき、トート閣下に扮した朝夏のビジュアルを見たファンのうち一体何人が同じことを思ったのだろう。

宙組公演 『エリザベート-愛と死の輪舞(ロンド)-』 | 宝塚歌劇公式ホームページ

お前、バンコランやないかい!と。

私もそう思った。激しくそう思った。だからパタリロを宝塚で舞台化してほしいという思いは一層高まったのだ。レンタルコミックでパタリロを借り、ときにはDVDを借りて激しく笑い、ちょっぴり泣きながら予習していたのに。
まさか、他の舞台に先を越されるだなんて。

www.huffingtonpost.jp


バンコランをそっちのけにし、同じ組織に所属している彼(ジェームス・ボンド)に夢中になっていた時期はあった。しかし、私はパタリロの宝塚化を切望していたし、この願望を忘れたことなど一度もなかった。

「美しさは〜つみ〜微笑みさえ〜つみ〜」と黒薔薇のシャンシャンを持った朝夏がゆっくり大階段を降りていく姿を観ることができないなんて本当に哀しい。哀しみのコルドバより哀しい。

www.youtube.com

 

 しかしながら、パタリロの舞台化を愛さない人はいない。
私は必ず観に行くだろう。

ろうそくの炎で見る、おどろおどろな世界「絵金まつり」

祭り 四国

 

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高知県赤岡町では毎年7月の第3土曜・日曜に「絵金まつり」が催されます。
絵金とは絵師・弘瀬金蔵の愛称。彼は江戸時代に狩野派の絵師として頭角を現しますが、偽絵事件を起こして追放されてしまいます。

この偽絵事件についてはいろいろ疑惑があるようですが、追放された絵金は商人を相手に絵を描いて生計を立てて暮らしていました。
そんななかで生まれたのが芝居屏風絵です。町の人々は自分の権力や財力を示すために絵金の絵をこぞって買い求めました。こうして町のあちこちに絵金の絵が広まったのです。
時は過ぎ、町おこしのために彼の屏風絵を使った祭りが始まったのが昭和52年から。日が暮れたあと町の家々の軒先に飾った絵を、ろうそくの灯りのみで観賞します。独特でおもしろみのある古式ゆかしそうな観賞方法が人気となり、すっかり有名な祭りになりました。

彼の絵はグロテスクというか、混沌とした恐ろしいシーンを切り取って絵描いたものが多いです。人を殺したり、斬りつけたりして血が飛ぶ場面の絵がたくさん残されています。
この血を表現する鮮明な「赤色」が彼の作風で、地元の人からは恐ろしくて美しい「おどろおどろ」な絵であると言われています。


祭りの日、辺りが暗くなった夜7時ごろ、町の商店街や裏通りの道筋に続々と絵金の絵が飾られます。ろうそくの揺れる光のなか、映し出される赤い血や、人物の鬼気迫る表情、ケレン味たっぷりな構図が見物客を魅了します。

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絵にぐっと近づくとこんなかんじ。
坊主の赤ちゃんがなんとも・・・。
かわいそうな場面なのにかわいくって。
路上では、ところどころに絵の解説をしてくれるボランティアガイドのみなさんがおられます。

赤岡町という町自体が古い町並みを持っていて、佇まいに興趣があるので、散策するのがとっても楽しいです。加えて、町にぼんやりと美しい絵が浮かぶのが面白い。怖い絵っていうのも、夏の夜に涼しさをもたらしてくれる。
町には酒蔵に古道具屋やカレーの美味しいカフェ、和菓子店、絵金の小物を販売するお店に加え、絵金の歴史を紹介する「絵金蔵」という博物館があります。祭りの日は遅くまでやっているので、夕方から赤岡町へ行っても十分楽しめます。

 

今年の絵金まつりは7月16日・7月17日です。

場所は高知県香南市赤岡町本町商店街一帯
高知自動車道南国ICより約30分
公共の交通機関の場合は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「あかおか駅」
祭り当日は臨時駐車場があちこちにあります。
絵金蔵については下記参照
絵金蔵 公式ホームページ - Ekingura official Website

ぜひ夏の四国へ。

紫陽花シーズン、到来

自然

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梅雨まっただなか。
道ばたで紫陽花が美しく咲く季節です。
私が住んでいるところにもいくつか紫陽花の名所があります。
色とりどりの花(がく)が密集する姿にうっとりします。
もし自分が喫茶店を開くなら庭にたくさんの紫陽花を植えるだろうと、この時期が来るたびに妄想します。
もちろん、苔の手入れもきちんとしたい。
春は青石で作った石畳の隙間に芝桜を植えたい。
夏は朝顔とぶどうのツルを簾に巻き付けたい。
季節ごとにお軸を変え、コーヒーの水は定休日を利用して山奥の湧き水を汲みにいくのです。

そういう止めどない妄想は楽しいけれど
サワガニのような性格の私は、お客さんを落ち着いて待つという行為が苦手分野なので、きっと想像で終わるでしょう。

 

 

スカートに感情を乗せる星奈優里

宝塚

宝塚には娘役芸というものがある。
男役と並ぶときに膝を折る、ボリュームのあるスカートにつまずかないよう裾を操作する、横顔を美しく見せるために首筋を浮き出させる、リフトは相手役の負担をかけないように軽く乗る。
私の把握しているものなど、きっと知れているだろう。気づいていない「娘役芸」は恐らくたくさんあるはずだ。
娘役は所作に美しさが求められる。歌舞伎や文楽のような形式美が求められる。
私は娘役芸をさりげなく、こちらが気づかないレベルでさっとこなしている人を見ると、すごいなぁと感動してしまう。

 

花組で仮面のロマネスクが再演されることが決まった。
柴田侑宏ラブな私にとっては近年の柴田アゲは本当に嬉しい出来事だ。
さっそく過去二作品を復習することにした。

高嶺ふぶきのスケコマシなくせに妙な実直さがあるヴァルモン
大空祐飛の狙った獲物は逃さない蛇系ヴァルモン

花總まり姫川亜弓系メルトゥイユ侯爵夫人
野々すみ花北島マヤ系メルトゥイユ侯爵夫人
どちらも好きだ。

(ただ宙組の公演はちょっと説明過多すぎるので、前の演出に戻してほしい)

けれど一番惹きつけられたのは、雪組公演でトゥールベル夫人を演じた星奈優里だ。

星奈優里は76期生。この期は風花舞純名里沙月影瞳と娘役トップを多く輩出している。星奈は星組から雪組へ組み替えしたあと星組に戻り1997年に娘役トップに就任。2001年に退団した。
風花舞と同じく踊りの名手として知られるが、星奈は娘役芸にとくに秀でていた。レビューでの美しいスカートさばきには、たびたびうっとりさせていただいたものです。
芝居にもその技術は存分に発揮された。特に「仮面のロマネスク」におけるトゥールベル夫人の「自分の正義と欲望の狭間でよろめきまくる」姿は圧巻だった。

ヴァルモンがトゥールベル夫人に迫る3場、トゥールベル夫人が彼に捨てられる1場は、トゥールベル夫人を見逃さないように視神経のすべてを彼女に注いでいたといってもいい。

注目はスカートのたくし上げ方と軽やかな身のこなしだ。
例えばヴァルモンと最後の面会を宣言した後。
ヴァルモンから逃げる際、本心では彼に堕ちたいと思っているため、スカートを後ろへ靡かせている。スカートの後ろをややひっぱって走ることで、裾が身体よりも大きく後退し、ヴァルモンへの気持ちの動線となり、彼女の未練は見事に表現される。

ヴァルモンに捨てられるシーンは白いドレスを左右に豊かに揺らせながら、捨てられた哀しみと、自分への絶望と、夫への裏切りの後悔をスカートにたっぷり乗せて演じている。特徴としては、感情的になるときはドレスに身体が埋もれるほどスカートを広げることと、よろめくとき、倒れる側(重心がかかる方)の裾を腰上までたくし上げることだ。こうすることで倒れるときにスカートが膨らむので、より立体的な感情が出せ、奥行きのある哀しみになる。
所作の緩急のつけ方も美しく、見とれてしまう。
彼女のよろめきについては1/60のシャッタースピードで各シーンを切り取ったとしても、すべての身のこなしが美しい絵として残るんじゃないかと思えるほど。
一昔前の少女漫画によく見られた「薔薇が背景に飛んでる」キメのシーンに見えるのだ。

何度観ても飽きることのない魅力的で放っておけない女性像を彼女は見事に演じきった。

私の心に深く残る、理想のトゥールベル夫人だった。

 

 

 

 

美しき苔生す山犬嶽

四国 自然

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梅雨の四国です。
苔の美しい季節になりました。
徳島県上勝町の苔の名勝「山犬嶽」には瑞々しい緑の世界が広がっています。
山犬嶽は登山口から徒歩20分で辿り着きます。
苔の生えている周辺は「ミニ四国八十八ヶ所」があって、小さな石仏がところどころ、苔に囲まれながら佇んでいます。
それら一つひとつを訪ね歩きながら散策するといいでしょう。
西芳寺銀閣などの人間の手入れが行き届いた苔の名所も良いけれど、人間の手が全く加わっていない、自然だけが育てた苔の世界を一度見てほしい。
山犬嶽は屋久島のダイナミックさには及ばないかもしれない。
けれど、田舎の里山にこんな場所があるのだと、じんわりと心に響く何かがあるのです。

筆箱採集帳/ブング・ジャム

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私は昔から雑誌のカバンの中身特集やお家訪問特集、本棚特集といった「他人の生活の中身を見せてもらう」企画にしこたま弱い。
そして文房具が大好きだ。

だから4年前にこの本を見つけたとき、かなり鼻息が荒かった。

小学校と中学校では学校の購買部(クラスで1人、必ずしなくてはいけなかった)に自ら立候補し、好みの消しゴムや鉛筆、ノート、えんぴつキャップなどを入荷しまくり、お客様第一号になった。小学校の近くにある文具屋「銀座堂」にあったコーラの匂いがする練り消しを手に入れたときは、一生大事にすると胸に誓ったものだ。(現在は紛失している)。小学校低学年の頃、マイ・スイート・キャラクターはキティちゃんでもマイメロディでも、キキララでもなく、ミッキーやプーさんでもなく、うちのタマ知りませんかでもなく、ポチャッコだった。だれがなんといおうとポチャッコを愛していた。

ゆえに筆箱も、幼稚園卒園後すぐに夢叶って手に入れることができた、磁石の力で両面がドアみたい開く、下には物差しを入れておくかちっとしたやつはさっさと用済みにして、安物のポチャッコの筆箱を大切に使っていた。
 しかし、ポチャッコと私の蜜月は2年足らずで終了する。360度どこから見てもかわいいポムポムプリンと出逢ってしまったからだ。私は、あんなに大好きだったポチャッコの筆箱を棚の奥へ放り込み、そこから長くポムポムポリングッズを買い漁った。えんぴつ、消しゴム、キャップすべてをポムポムプリンにし、自分のことを「プリンって呼んでね」という、今考えると恐ろしい行動を取っていた。

中学生に突入すると、カラーペン、ラメペンに目覚める。いかに多くの色を集めるかに没頭し、筆箱をパンパンに膨らませた。もちろん、この頃は将来への夢もパンパンに膨らんでいた。0.3などペン先が細いペンこそ正義だと思い、疑わなかった。書きにくいなぁとも思ったけれど、小さくかわいい字を書くために必要なことだ。若者特有のやや斜体がかかった字をマスターするためには仕方なかったといえる。

高校に入るとドクタークリップの素晴らしさに魅了される。1本あれば充分なのに、限定色があると聞くや飛びついたせいで4本は筆箱に入れていた。ペン回しの技をマスターするために時間を費やしたので、授業中何度シャープペンシルを飛ばして怒られたことか。周りにごめんなさいと言いたいです。

大学生になると、お気に入りの筆箱を見つけた。布地で柔らかく、外には猪熊弦一郎が描くような猫のイラストが1つ。裏地は赤のチェックだ。中に入れるものはサラサのボールペン(赤・黒)とUSBメモリだけになっていた。この筆箱は黄ばんでぼろぼろになるまで使った。

 

そして社会人になった今、私はあれだけ愛していた筆箱を1つも持っていない。ボールペンは必要だが、カバンの小さなポケットにぶち込んでいる。無くなる事も多いけれど、新しいのを買えばいいやと思い、大して気にしていない。あれほど大事だった文房具たちが、いつの間にか宝物ではなくなっていた。

 

筆箱採集帳には、小学生や思春期の若者、サラリーマン、ナース、芸大生、建築家など50人以上の筆箱およびその中身が披露されている。持ち主の好みが反映された十人十色という言葉がふさわしい中身にうっとりするだろう。そして、私は安心する。

いつの時代も、小学生女子の筆箱はえんぴつキャップに気合いが入っているし、中学生女子はカラーペン集めに精を出している。男子学生は相変わらずボコボコの缶ペンを使っている。

 そして、自分が今後送ることがない人生を歩んでいる人の筆箱の中には、それぞれにとって必要なものや性格が出るものが収められている。あめ玉や、5円玉や、おびただしい量の色えんぴつや、クシ、日焼け止め、万年筆。何種類ものカッターに工具。

 

筆箱は宇宙だ。そして、持ち主の人生でもある。

 

 

 

 

少年の名はジルベール/竹宮惠子

 

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漫画家・竹宮惠子の自伝エッセイです。
竹宮は漫画家として上京後、萩尾望都と「大泉サロン」に住んで漫画を描き、増山法恵から文化的・芸術的教養を伝授されながら内面を磨いていきます。漫画家として経験を積むなか、彼女は自分の本当に描きたいテーマが発表できないジレンマを感じ、また同時に、ライバルである萩尾望都の才能に嫉妬して心の闇がどんどん深くなります。
信頼している編集者から「何ページであろうと、萩尾には自由に描かせる。ページ数が少なかろうが多かろうが、とにかく毎月萩尾だけは載せる」という話を聞いたときの悔しさは、相当なものがあったはず。

萩尾と自分の差を理解して追いつめられた竹宮は、萩尾から距離を置くために大泉サロンを解散する。しかしこの時点で萩尾は、解散の本当の理由を知らされていない。それから暫く経って、「距離をおきたい」と竹宮は萩尾に伝えるのだ。

どんな気持ちだったのだろう。
萩尾の才能に憧れと憎しみを抱き、彼女の存在が疎ましくなって、とうとう本音を告げる竹宮。
自分の存在が竹宮を苦しめていると気づいたときの萩尾。

それを乗り越えたからこそ、今の二人の地位があるのだと思います。
自分の中にある負の感情を乗り越えた人の引き出しは広く、深くなっている。竹宮の大きくなった引き出しにたくさんの知恵と価値観を与えたのが増山法恵だったんでしょう。

 この本のなかで最も好きなのは、10章のヨーロッパ旅行のところ。
本物のヨーロッパを見るために、竹宮・萩尾・増山に加えて山岸凉子の4人で貧乏旅行に繰り出します。ことにパリに興味があった竹宮は、本書のなかで「先月パリに行ってきたの?」と思えるくらい細かくパリについて描写している。もちろんメモを取っていただろうし、資料の写真もたくさん残っているから書けるんでしょう。けど、この章から「本物のパリを漫画に描いてやる!」という彼女の当時の熱意がむんむんと伝わってくるのです。

才能がある人は「視力(見る力)」を持っている。だからいろんなものを記憶し、理解し、自分のものにできるのだと私は思います。
竹宮は本来の才能に加え、人生のいろんな段階で視力を獲得していきます。上京したとき。都会の本物の文化に触れたとき。大泉サロンでさまざまな人に出会ったとき。ヨーロッパへ行ったとき。萩尾の才能について、自分との違いを具体的に理解できたとき。人気が出る少女漫画を生み出すため増山と深く話し合ったとき。

どれ1つ欠けても「風と木の詩」は完成しなかったかもしれません。
そういうことを踏まえ、私はこれから風と木の詩を読み始めていこうと思います。

(偉そうなことを書きましたが、風と木の詩はまだ全部読めていないのです・・・)